藤ミヤチ

藤ミヤチのプロフィール

  • 1990年生まれ、AB型、Xジェンダー、レズビアン/バイセクシャル
  • 国際教養大学卒。在学中に1年間のモンゴル留学をし、遊牧民生活を体験
  • ときどき演劇をしつつ4回転職
  • フリーランスになるためにいなフリに参加
  • 2019年1月から千葉県いすみ市を拠点に、ゆるくノマド生活を送る

趣味は散歩と読書、アニメ・漫画。
小野不由美著「十二国記」シリーズは私のバイブルです。

パズル系のゲームも大好きです。
一人カラオケに行くと、6-7時間ぶっ通しで歌うこともあります。

あごが薄いのがコンプレックス。
中国系のハーフではないのに、典型的な中国人っぽい顔をしています。

フリーランスになって、自分で決められる自由な生活を満喫中。
自分で決めたなら、いつ、どこで、何をしててもいいんだってことを大事にして生きています。

好きなもの・好きなこと

私が好きなものをまとめました。

読書

本を読むのが好きです。
特にファンタジー小説が好き。

実用書などのノウハウ系はすぐ眠くなってしまうのですが、ノンフィクション小説なら1日中読んでいられます。

それこそ朝起きて寝るまで、ご飯・トイレ以外はずっと本を読んでいることもあります。
風呂に入っているときすら本を読んでいる、本の虫です。

私の人生に特に影響を与えたのは、

  1. 小野不由美の「十二国記」シリーズ
  2. 上橋菜穂子の「守り人」シリーズ
  3. 奈須きのこの「空の境界」

価値観の根っこには、たいていこの本があります。

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アニメ

ノンフィクション小説と同じように、アニメも大好きです。
シリアス・鬱アニメが割と好き。

藤ミヤチの生い立ち

誕生〜小学生時代

1990年12月3日、岐阜県土岐市で生まれました。
2年後に弟、そのまた3年後にもう一人弟が生まれ、両親・私・弟2人の5人家族です。

幼いころはよく、地元の方言で「せんしょな子」と言われていました。
「自分であれこれとやりたがりな子、おせっかいな子」という意味です。

小さいころは特に、好奇心が強かったのだと思います。

家では「女の子らしくして」「長女ならこれをすべきだ」などとよく言われたのですが、その度に居心地の悪さを感じていました。

なんで?
そう聞いても「女の子だから」と言われ続ける日々。

なんで駄目なん?

ずっと答えのないもやもやした思いを抱えていました。
でも、まわりの意見に徹底抗戦するほどの衝動でもなかった。

理由はわからないけど女の子ってめっちゃ不便だなー、くらいの感じでした。

そして小学6年生のある日。
私史上、とても大きな事件がありました。

いつも通り仲のいい幼馴染の男子と一緒に下校していたとき、たまたますれ違った中学生くらいの集団に「付き合ってるの?」とからかわれたんです。

え、それだけ?

って思うかもしれませんが、当時の私からしたらものすごいショックだったんです。
世界が終わっちゃうくらいに。

その幼馴染の男の子は好きでしたが、友達としての好意です。
それでも自分の思い・考えとは全く関係なく、男子といるだけで女子として扱われてしまう。

すれ違っただけ、という一瞬のうちに「女子」というラベルをべったり張られたのを感じて、とても苦しくなりました。

悪意なく力いっぱい「女子」という枠に押し込めてくる無言の圧力みたいなものに、敏感に反応してしまったんです。

この時から「女の子って不便だなー」が「女の子であることに対する絶望」になりました。
(この事件のせいで、つい数年前まで男の人と話をすること自体が非常に苦手でした)

居場所が見つからなくて「演劇」「執筆」「ホームページ作り」に没頭した中学時代

小学校卒業と同時に岐阜県多治見市に引っ越し。
父親の経営していた会社が倒産したため、財産が一切なくなり、山間の小さな町にあるあばら屋で暮らすことになりました。

どんな家かというと、

  • 昔ながらの茅葺き屋根の平屋にトタンを乗せただけ
  • 部屋の中にいればはっきりわかるくらい傾いている
  • 土壁にはヒビがはいり、触るだけで崩れてくる
  • 隙間風がひどくて寒い
  • 時々天井の隙間からねずみやムカデが降ってくる
  • ていうか水洗トイレもないし、風呂もない

といった感じ。
(トイレと風呂は、引っ越し直前になんとか大家さんが用意してくれました)

そして家の周囲は「田んぼ!川!以上!」みたいなところ(マジで)。
夜になれば月明かりだけが頼り。
という感じです。

私はその「何もない」環境が意外と気に入り、縁側で田んぼを眺めながら読書をしたり、散歩をしたりしていました。

一方、学校はというと。

中学校では、なかなかクラスに馴染めず少し浮いた存在でした。
男子と一緒にいることも苦手で、かといって女子の集団にいても居心地が悪い。

あと単純に、「かわいい」「かっこいい」などの抽象的な言葉が理解できないために会話についていけないことも多かったのを覚えています(詳しくは後述)。

また、私にとって、学校は制服の面からも安らげる場所ではありませんでした。

具体的には、
制服がスカートだったから。
服装からして女子という扱いになるから。

「女」であることにやはり抵抗感がありました。
どこか狭くて居心地の悪い場所に押し込められる感覚です。

なぜ「女」であることに違和感・嫌悪感を覚えるのかはわかりません。
「女」という事実が、自分の中にある何かとかみ合ってくれない、という感じでした。

そこで、中学2年生のころからは、学校の外に居場所を求めるようになりました。

たまたま自治体が運営する演劇イベント「オイディプス王」に参加してみたところ、これがかなり自分にマッチしていました。
学校とはちがう、年齢・生活スタイル・考え方がばらばらの集団にいたほうが私は安心できたのです。

また、そこでの活動をきっかけに詩や小説を書き始めました。
この頃に書いた詩のいくつかは、劇の台本にも取り入れられてもらい、文章によって人の心を動かすことができるんだな、ということを知りました。

もともと読書は好きだったんですが、私にも書いて何かを伝えることができるというのはとても嬉しいことでした。

そして欲張りな私は思いました。

もっと多くの人に読んで欲しい。

毎日パソコンの前に陣取り、ネット上に散らばる情報をかきあつめながら、いちからHTMLやCSSを勉強して小説・詩を発表するウェブサイトを作りました。

まあ、今から振り返ればサイトの出来は……まあ、頑張ったね……って感じですが、知らないものを調べながら何かを作るということがめっちゃ楽しかった時期です。

JR福知山線脱線事故の衝撃

寝ている時間以外のほとんどをパソコンの前で過ごすようになったころ、私の考え方を一変させる出来事がありました。

2005年4月におきたJR福知山線脱線事故です。

事故が発生したとき、私は岐阜県にいましたし、友達・知り合い・親族が関わったわけでもありません。
ただ、その事故が私の「世界」を大きく揺るがしました。

来る日も来る日もテレビを通して事故が大々的に報じられ、おそらく歴史に残る事故になるだろうなと思っていました。
学校へ行けば話題になり、町を歩いていると近所の大人たちが話しているのを耳にする状態です。

ある日バスに乗っていたところ、すぐ近くの席に3人のお年寄りが座っていてやはり福知山線の話を始めました。

「テレビで見ている電車の事故、すごいことになってるわねぇ」
「ほんとに。巻き込まれた人がかわいそうよね」
「早く救助されるといいけど。そういえば、昨日スーパーに行ったときね、……」

この会話がふと聞こえたとき、私は大きな衝撃に襲われました。

福知山線脱線事故は、多くの人の人生に多大な影響を与えたはずの事故です。
そんなことは誰にだってわかります。

でも、岐阜県内を走るバスでは「かわいそう」という一言で片付けられてしまったんです。

え、こんな軽い話題なの?

そう思ったとき、気づきました。
テレビで事故の様子を見ていた私だって、リモコンのスイッチを押してチャンネルを変えれば、すぐ事故のことは忘れて笑っていたりします。

つまり、実際に現場にいるのか、遠く離れたところにいるのか、ということだけで精神的な距離って変わってしまうんだな、と思いました。

そもそも、テレビで報じられているから「現実に起きたことだ」と思うけれど、物理的に距離のある岐阜県では、本当に起きていることかどうかがあまり実感できないんです。

私がきちんと認識できる「世界」は、直接手を触れて、自分の目で見ることのできる範囲に限られていました。

たとえば、極端な話、バスの車内にいる私にとって本当に自分の家が存在しているかどうかすら確認はできないんです。
今朝は家にいたから「今も家はあるはず」と思うけれど、知識上の齟齬がなければ本当に存在していなくても私の世界に異変はありません。

バスの車外は、私にとって非常に存在が曖昧な「世界」なんだなぁ。

こうして「私が実感をもって認識できる世界は非常に狭い」ということに気づいたとき、私の世界観は一変しました。

実感できる世界が狭いことは、どこか怖いな、と思ったんです。
そして同時に「だったら岐阜県から出て、今私が認識している世界の外側を見てみたい」と思いました。

この思いが、いろんな場所に行きたいという原動力です。

外の世界への憧れを募らせた高校生時代

自分が今見ている・触れているよりも外側の世界を知りたい欲と、日常生活で居心地の悪さがあいまって「海外へ行きたい」という思いが非常に強くなりました。

いっそのこと、海外の高校に行けないかと考えたこともあります。
しかし両親と大喧嘩したのと、金銭的な都合もあり、国内の高校へと進みました。

高校でも相変わらず浮いた存在でした。
私としては人と関わりたいけれど、関わり方がよくわからなかったのを覚えています。

また、相変わらず女子という枠にはめられることに対して、変わることなく強い違和感がありました。

制服が嫌すぎて、校門を出たら物陰でジャージに着替えて帰ることも。

一方でそれを主張することができなかったので、一人で悩んでいた時期でもあります。

外の世界を求めて行動した大学生時代・モンゴル留学時代

高校卒業後、とりあえず海外にいきたいと思ったのですが、英語が全然話せない。
むしろ英語は大っ嫌いでした。

模試なんかでは英語の偏差値がダントツに低い。
これじゃ行ける大学はあんまりないぞ、と先生に言われたこともありました。

一方で「海外にいくのであれば英語がぺらぺらに話せて当たり前」と思っていたんです。

そこで、英語が勉強できて海外留学にもいける国際教養大学に入学することにしました。

当時はまだ知名度が低いせいで偏差値がうなぎのぼりする前だったのもあり、なんとか英語の不足を数学や国語で補うことで入試をパスできたんです。

高校を卒業するのがあと1年遅かったら、もう入れなかったと思います。
1990年に生まれておいてよかった。

さて、留学は大学3年次の1年間です。

どこにいくか、は基本的に自分で決められるのですが、当初は「英語をきちんと勉強したいし、留学先は英語圏で」と思っていました。

今思えば、何を思い違いをしていたんだ、自分。

小さい頃からモンゴルに憧れていたのを忘れていました。
そして留学先としてモンゴル国立大学が選べることを忘れていました。

そのことに気づいた瞬間、私の留学先はモンゴル一択でした。

そして、大学が夏休みになった期間中に、長年の夢だった遊牧民生活を体験しました。
見聞きすることがすべて新しく、自分の世界が広がって行く感じ。

その期間中に感じたこと・学んだこと・気づいたことは数しれません。

しかし、モンゴルは私にとって定住する場所ではありませんでした。

予定通り1年の留学を終えて帰国したあとは、そのまま流れで国際教養大学を卒業しました。

自分のあり方を見つけたフリーター時代

大学卒業後は、中学時代にお世話になった演出家の先生のもとで再び演劇に関わりながら、いろんな業種を転々としました。

  1. 携帯ショップの販売員
  2. ネットニュースの編集補助
  3. 外国人向けホテルの受付
  4. 介護系ポータルサイトの原稿管理・執筆・入居相談員
  5. 求人系マッチングサイトの技術開発

給料を踏み倒されそうになったり、パワハラが横行している職場で泣きながら仕事したり、激務すぎて精神と身体のバランスを崩して眠り続け、ごはんすら食べられなかったり……という、わりとハードモードな会社を渡り歩いてきました。

逃げてないでいい加減に給料を払ってくれ、と上司の上司に鬼電したこともあったっけ。
なんていうか、会社運がなさすぎる。

ともあれ。

実は大学生のころから、ずっと悩んでいたことが2つありました。

  • 自分は女の人が好きなんじゃないか?ということ
  • この先の人生で女として生きていくことになる自分(特に、子ども産める肉体であること)に恐怖を感じること

この頃は女性であることに違和感や嫌悪感を募られていたわりに、自分は女だと認識していました。
世界には女と男しか存在していないのなら、女だろう、と。

そしてもし自分がレズビアンだとしたら、この先どうしたらいいのだろう、と。

今思えば、自己認識が変な方向に向かって捻れていた気がします。

ある日、大きな出会いがありました。
仲良くなった人がXジェンダーを自認するゲイの人との出会いです。

この人と仲良くなっていくにつれ、
あれ、私って実はXジェンダーなんじゃね…?
そして恋愛対象が女であろうが男であろうが、そんな大変なことではなくね?
と思うようになりました。

正直、これはめちゃくちゃ大きな発見でした。

その人と話すことで、少しずつ自分が楽になっていくのを感じたんです。

そしてある日、Xジェンダーのことについて書いているブログを見つけました。

この人のプロフィールを見ていたところ、田舎フリーランス養成講座(いなフリ)の話が。

  • 外に行きたい(場所にとらわれずに行きていきたい)
  • セクシャルマイノリティであることを隠さずにいられるコミュニティが欲しい

という、私の願いにがっちり当てはまるものが見つかりました。

もうこれは申し込むしかない!
勢いのまま、2018年11~12月のいなフリに参加しました。

たぶん人とは違う感覚について

「かっこいい」「かわいい」という概念が理解できない

どうあっても理解できない(できなかった)抽象的な概念がいくつかあります。

代表的なものは「かっこいい」「かわいい」という考え方です。

どんな条件を満たしたら「かっこいい」のか。
どんな要素が「かわいい」のか。

「あのドラマの主人公役の人はかっこいいよね」
と言われたとき、その人が役者をどう思っているのかが全く理解できません。

そのせいで、簡単な日常会話ですら理解できない時期がありました。
とくに中学生・高校生の頃、とても苦しい思いをしていたのを覚えています。

今はおぼろげながら「かっこいい」「かわいい」という概念が理解できるようになったので(もしくは理解できなくても話の帳尻をあわせられるようになったので)、会話にそれほど苦労しなくなりました。

制御ができない発作のような衝動

ときどき発作的に、体の中心がひどく落ち着かなくなって精神が保たなくなる衝動に襲われることがあります。

あえて言葉にするのなら「奇声を発して、普通の人体にはできない動きをしなければ体が保たない」という、制御不能の強い衝動です。

いつもこの衝動が来るたびになんとか理性で押さえつけようとするのですが、代わりにその他のことを一切意識できなくなります。

ムリムリムリムリ!
そう心中で叫びながら、身動きひとつとれず、衝動が落ち着くのをじっと待つことしかできない状態です。

理由はわかりません。
ただ、精神的な負荷がかかったときにおこる発作のようなものです。

年齢を重ねるにつれて発作の回数はぐっと減りましたが、現在でも年に数回はこの制御不能な衝動に襲われます。

これ、いったいなんなんでしょう。

意味がわからなくて病院に行こうと思ったこともありますが、どこにどう相談したらいいかわからず……。

発達障害なのだろうか?
ほかにも思い当たるところがなきにしもあらず。
長年、悩んでいたことの一つでもあります。

でもふと最近気づいたら「発作の回数も減ったし、発作中はつらくても待ってればそのうち終わるからいいや」と、わりとどうでもよくなっていたので詳細は不明です。

制御不能な衝動がきたら「お、疲れてきてるサインだな」と楽観的に受け止めることにしています。

匂い・味・音を視覚的に捉えている

森

私は嗅覚、味覚、聴覚を視覚的イメージとして把握していることがあります。

たとえば、鉄は「濃い灰色の凹型をした臭い」がしたり、焼酎は「真ん中が抜けた筒型の味」だったりします。

海の波の音は、荒れ具合などによって斜め右上から伸びてくる楕円形だったりとんがっていたりします。

鈴虫の鳴き声は金属っぽい黄色だったりします。

なんのことやら、と言われるかもしれませんが、私には嗅覚・味覚・聴覚が映像となって感じられることがままあります。

全ての匂いや味や音が視覚イメージと繋がっているわけではありませんが、視覚的に把握していることも多いです。

あとは身体感覚もわりと視覚的に把握しています。

たとえば「自分の脳がどれくらい疲れているか」は、脳の右上にあるエリアが詰まっているのか空洞があるのかで図っています。

言葉にしたら何がなんだかわからないですね。

感覚を文字にするのって難しい。

とりあえず、普段はなるべく「視覚的に把握した感覚」を翻訳して人に伝えるようにしているのですが、伝え損ねることも多くて難しいな、というのが素直な現状です。

藤ミヤチはこれからどこへ向かうのか?

いなフリの最終週、これからどうやって生きていこうか考えていました。

そこで気づいたのは、

  • 国籍・人種・ジェンダーに関係のないコミュニティを作りたい
  • 場所の縛りなく生きていきたい

ということでした。

ただし、自分の作りたいコミュニティがぼんやりとしかわかっていないので、とりあえずはフリーランスになってコミュニティを巡りながら世界中を旅しようと思います。

世界のどこかで、落ち着くコミュニティがみつかれば長居すればいい。
自分にはあわないな、と思ったら移動すればいい。

好きなときに好きな場所へ移動できるように、家なしフリーランスという生き方を試してみるつもりです。